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僕のポルシェのハンドルは世界限定80本! 保坂兄弟の911S


こんにちは
保坂学です


前回のブログ続編を投稿します!
マニアックな話ですが、ポルシェってどんなクルマ?って知りたい方はお暇なお供に読んでみてね。
https://manabuhosaka.hatenablog.com/entry/2021/10/12/204229


前回のまで読むのは面倒な方へあらすじ

前のブログは、ポルシェの歴史や911のスペックなどについて、なぜコードが901から911になったのか?僕の1976年の911Sが、ポルシェジャパンで初年度のポルシェなどの話でした。


今回の投稿は愛車のポルシェ911Sのステアリングを変えたので、その理由やMOMOというブランドの由来について語ります。



僕の愛車ポルシェ911S は40年以上前の車両で、このハンドルは、MOMOが70年代から80年代に生産していた、MOMO Gilles Villeneuve Steering Wheel Limited Edition 12/80のステアリングハンドルを装備しています。

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MOMOはイタリアのメーカーで、1964年にジャンピエロ モレッティが設立して、社名のモモは、モレッティモンツァからきているのが由来です。

当時momoは、レースやサーキット向けの製品を製造していましたが、1970年から、一般車向けのステアリングホイールの販売もスタートしました。

僕が選んだMOMOステアリングは、F1ドライバーシグネチャーシリーズで、その時代で脚光を浴びたドライバーが選ばれデザインします。

僕はジル ヴィルヌーヴが、最後にデザインした、世界で限定80本製造のステアリングを選びました。

ヴィルヌーヴのドライブは、普通なら考えられない状況で、肩輪すら動かなくても、カウンターステアが動くならば、三輪走行をしても完走しました。

ジルヴィルヌーヴのF1伝説の三輪走行
https://youtu.be/MfTB33sfBsE


その走行不能になるまで絶対にレースを諦めない姿勢が、尊敬されるようなドライバーでした。

ヴィルヌーヴは、F1の史上に名を残すバトルを、数々と繰り広げていましたが、若干32歳の若さでレースにより事故死しました。

この騒然な事故は、映像として現存していて、F1レースの中で、最も悲惨で驚嘆な事故として、1983年のウィニング ラン、1987年グッバイ ヒーローなど、映画になり放映されています。

ジルヴィルヌーヴの事故映像
https://youtu.be/QPw5kKqM-ns


日本でのF1開催は、ジル ヴィルヌーヴの事故を最後に、以後10年間に渡り中止されました。

彼は、日本のメディアやマスコミの、激しい非難と誹謗中傷の的となり晒されました。

そのメディアに対して、F1業界がその状況に怒りを覚え、反論の意を唱えていました。

その際にエンツォ フェラーリは、悲惨な事故は今までにもたくさんあり、これがF1レースの世界だ。とヴィルヌーヴを擁護する声明を出し、世界のメディアを一蹴しました。

伝説のF1ドライバー、ジル ヴィルヌーヴが、背負っているカーナンバー27は、名門フェラーリが、27番を付けるのは、悲運の象徴となってしまい、当時は誰もが、そのナンバーを拒みました。

しかし、時代の流れの中で、ヴィルヌーヴの鬼神のような活躍と死は伝説になり、象徴である27番は、偉大な番号として愛され、誰もが望むフェラーリのエースドライバーを象徴することになりました。

その番号を背負ったドライバーは、皆数々の伝説的なドライバーであり、その名は錚々たるメンバーで、パトリック タンベイ、ミケーレ アルボレート、ナイジェル マンセル、アイルトン セナ、アラン プロスト、ジャン アレジらは、偉大な27番を自ら受け継いでレースを闘い抜きました。

その著名なドライバーの中でも、セナやアレジはヴィルヌーヴへのリスペクトが有名な話で、アレジが幼少の頃は、自分の部屋にヴィルヌーヴの等身大ポスターを貼っていたと言っていました。


僕は、変更前のハンドルもMOMOを使っていましたが、80年代後半の様なポテっとしたハンドルで使い易かったのですが、このクルマのビジュアル的にクラシック感を出したかったので、1976年の911Sのクラシックを崩さず、自分の呼吸に合うような、ハンドルを探していたら、遂に見つけることが出来ました。

930のハンドルの脱着は、特殊工具も必要なく、六角レンチがあればボルトオン、配線もクラクション部の接続だけなので、モノがあれば、自分で簡単に出来るカスタムです。


僕が自分の愛車にこのステアリングを何故選んだかは、僕の生き様になります。

F1レースは、どんなドライバーであっても、死と隣り合わせの危険な競技であるような、周知の事実にも関わらず、理不尽なメディアは誹謗中傷をしていました。

その誹謗中傷を払い除け、闘い抜いた男達の姿に、心を撃ち抜かれたからです。

現代は、誰もが携帯電話から誹謗中傷や嘘まで、ブログやSNSに、簡単にぶち撒きけることが出来る世の中であり、軽い言葉でたくさんの人が傷付いています。

人を貶めたり辱めたりしてると、手負の虎は恐ろしく、逆に自分が後で喰われてしまうことがある世の中だと、学ばせないといけないですね。

世の中ネットでIP開示やディープウェブはすぐに使えますから、きっと仕返しされちゃいます。

僕と弟の保坂耕司は、自分の道徳があり、人に言えないような、誹謗中傷などしてるやつは人間のクズだと思っているので、人生における生き方に、恥じる事は無い様にしています。

やはり生き方でカルマがあり、人に酷いことをしたら返ってくるので、誠意ある仕事が出来る様にと、株式会社PLUSでも話をしています。

みなさん清らかな心で幸せに生きたいですね。




I changed my porsche steering signature series designed by F1 driver Gilles Villeneuve. It's his last design. This is the Steering was selling MOMO from the 70's and 80's. Due to accident racing legends of F1 drivers, F1 race in Japan over 10 years were suspended. Villeneuve was exposed to fierce criticism from media outlets around the world, but Enzo Ferrari defend him, he say there were lot to accident. This is the world of formula 1 racing. He did the unthinkable in normal goal. He was from an accident driving on three wheels. His car runs out, never give up racing. Captures the hearts of people around the world fight for him, fought with the name battle in F1 history. He was killed in an accident at the age of 32. This story remains as a video. Most distressing and shocking accident footage in F1, in 1983 winning run, 1987 goodbye Heroes have been featured film in. Prestigious Ferrari is hated as a symbol of Villeneuve's car No.27. No.27 was loved as a great number of Villeneuve and tragic death. And became to symbolize the Ferrari ACE driver. Inherited the No. 27 by Patrick tambay, Michele alboreto, Nigel Mansell, Ayrton Senna, Alain Prost, Jean Alesi, who fought. Senna, Alesi respected Villeneuve. Said Alesi was put childhood Villeneuve poster in his room.

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