保坂学の気分は爽快 保坂兄弟物語 耕司と2人で最強!

保坂学のグッドバイブスではじめました!保坂兄弟はやるぜ!

タイ・バンコクのワットポーの観光はオススメ 保坂兄弟(保坂学と耕司)のタイ旅行part2


こんにちは
株式会社PLUSの保坂学です。


保坂兄弟はアジア南東部圏のタイの話をしながら、東京の騒がしさと世田谷ハウスが列を成す場所にいたら、心が荒むので、タイのボルテージが高いパワーを弟の耕司と受け、海外拠点でビジネスを始める準備のアジア調査をしています。


前ブログの続編で、やっぱりタイは予想外な事あるって話なので、暇な時に読んでみて下さい。
https://manabuhosaka.hatenablog.com/entry/2021/10/18/185727


保坂兄弟が選ぶ拠点の候補は、ヨーロッパや UAEが理想的ですが、タイは物価が日本の三分の一くらいなのに、アジアの中心地で今後も栄えるし、生活面ではアジア拠点として良いと思います。

昔は、タイの物価は日本と比べ、十分の一くらいだったのが、ここ数年は、タイバーツの価格も上がり、アジア南東部の憧れの国に発展しており、周辺諸国はタイを目標にしていたりと、アジア活動の拠点をバンコクするのは良い環境です。


今回のタイ観光は、ワットポー(Wat Pho)が、バンコクの三大寺院として有名な歴史ある建造物なので、興味が湧いたので観光に行きました。

f:id:manabu_hosaka:20211018233752j:plain

僕は、新たに移動手段として、スクーターを借りたので、行動力もレベルアップして、遠い場所でも問題なし、歩きと違い何処でも行けそうなので、面白そうな場所を探索しながら、ワットポーに向かいました。

バンコク行ったらスクーター
https://youtube.com/shorts/R_haHhXQU-4?feature=share

ワットポーは、バンコク市内からタクシーやスクーターで、30分くらいの近い距離にあり、初心者や親子連れ観光でも、ホテルから気軽に行けるので、バンコク観光で、ワットポーを見に行くのはお薦めできますよ。

ワットポーは、巨大な寝転がったお釈迦様がいる著名な寺院で、バンコクで一番広い面積と、最古の歴史があり、仏教の歴史と格式がある伝統的な寺院です。

バンコクで最古の寺院ワットポー
https://youtube.com/shorts/ZSwJCmlFxRY?feature=share


その大きなお釈迦様のサイズは、全長46m、高さ15mの金色の寝釈迦像で、この寺院は別名、ねはん寺とも呼ばれ、観光客や地元民に親しまれていますが、この寺院で他にも有名なのは、タイマッサージの総本山だったんです!

この場所はラーマ3世の医学の礎となり、寺院内ではタイ古式マッサージの技術指導学校や、本物のタイ古式マッサージの施術を受けたり出来るので、長旅で疲れた心と身体を癒すことができるので、施術を受けるのも良いですよね。




#ワットポー #涅槃寺 #タイの三大寺院 #海外旅行 #タイ #バンコク #タイマッサージの総本山 #保坂学 #保坂耕司 #保坂兄弟 #株式会社PLUS #世田谷ハウス

タイ王国はビジネスチャンスがたくさん 保坂兄弟(保坂学と耕司)のタイ旅行part1


こんにちは
株式会社PLUSの保坂学です。

保坂兄弟は東京都みたいにピチピチに世田谷ハウスが立ち並ぶような場所にいたらダメだと思い、拠点探しに向けてアジア圏の調査開始して、アジアで弟の耕司と始めるビジネスをしながらトリップしています。

今回は、アラブ首長国連邦に滞在中に連絡があり、タイ王国にミーティングに向かう事になったので、飛行機に乗り、4時間程度のフライト時間でタイに入国しました。

f:id:manabu_hosaka:20211018185409j:plain

タイ王国に初上陸
https://youtube.com/shorts/cN6-39sRzbI?feature=share

僕は飛行機や電車などの閉鎖された移動は、動けず時間を損している気分になり苦手で、出来る限り迅速に入国出来る方法を選んでいます。

そのため、国外から日本に帰国せずに、他国に直接フライトする移動が多く、国外の仕事が多い頃は、年間の半分くらい国外に滞在してた時期もあって、これからまた海外を飛び回る旅人のような生活をするのが本当に楽しみでです。


僕はアジア圏の国に豊かな未来を感じていて、昔からアジア圏の様々な国のビジネス調査をしていますが、日本を除いて、どの国を見ても数年で見違えるくらい発展を続けているので、数年前からアジアに拠点を築くために行動しています。

僕がアジア圏に魅力を感じている所は、ビジネスに上下関係がなく、日本は大企業は小さい会社とは取引しませんが、海外は大企業だろうが中小企業だろうが、利益を見込めれば、関係無くビジネスをしますし、日本人が想像出来ないような事が起きて胸が高鳴ったり、発展途上しているエネルギッシュな空気を直接感じれる事ですね。


入国して空港からホテルに到着する日は、遅めの時間にチェックインが多いので、近場のバーを探して、美味しいお酒の時を過ごして、時間を有効に使っています。


バンコクで有名なRED SKY BAR
https://youtube.com/shorts/1y_KWvK2xqw?feature=share


どの国であってもバーに行くと、地元の人と友達になれたり、行く場所の情報収集が出来るメリットがありますので、毎晩あてもなく軽めの晩酌に行くことにしています。

バーでほろ酔いになり、翌日の目的地のインフォや交通機関などを調べたり、予定もなく疲れてなければ、現時点の時間から楽しめる場所ってあるのかな?など、携帯電話を片手に、行き当たりばったりの予定を探しながら酔っています。


海外に滞在してる時は、たいてい朝早い時間から行動して、新しいビジネスチャンスに探究心を持ち、国によって昼と夜が真逆に活動している国も多いので、滞在先によって昼か夜どちらかのスタイルに切り替え活動してます。

この日はまだ、タイの事は無知で、どの繁華街が楽しいなど、想像もつきませんが、まずは公共交通機関が気になり、水上バスで移動しました。

タイのバンコク水上バス乗ってみた
https://youtube.com/shorts/4FZwjp5KS8s?feature=share


僕は、滞在国を知る市場調査と、旅行中に必要なモノを調達するのに、栄えてる情報のある街やモールに足を伸ばしますが、各国それぞれ独特な食事や雑貨があり、地域に根付くローカルの生活感を知れたり、マーケティング知識として、調査する事にしています。


街並みを楽しみながら歩いてると、比較的に大きめのデパートビルが目に入ったので、ビル内に入ってみると、今の日本に存在しない、ドナルド マクドナルドが手を合わせてる等身大人形があったり、デパートの中でランボルギーニなど高級外車が売られていたりして、日本に高級車がデパートで売られていることって無いから目を疑いました。

こんな感じで街をブラついてると、国による文化の違いや事情が見えて、アジアのエネルギッシュな市場に刺激を受け、想像してなかったビジネスアイデアなども閃いたりしますよね。

バンコクはバスのドアが開きっぱなし!
https://youtube.com/shorts/FA1mYdKjQ7o?feature=share

街をぶらぶら散歩してると、思ってたより時間が経っていて、夕方から夜に差し掛かる時間帯になり、少し歩き疲れたので、公共の乗り物に乗ってみたいと思い、近くのバス停から、都心部方面だと予測してる方向のバスに乗車しました。

このバスに乗って衝撃を受けたのは、バスのドアは開きっぱなしが通常運転で、車内のBGMはダンスミュージックが流れ、日本の公共交通機関との格差はカルチャーショックでした。


初日から過ごした前半は刺激的に終えて、明日の早朝のプランが遠い場所だと頭をよぎったので、ホテルに戻る事にしました。




#バンコクのバー #RedSkyバンコク #海外旅行 #タイ #バンコク #保坂学 #保坂耕司 #保坂兄弟 #株式会社PLUS #世田谷ハウス

アラブの楽園マラワ島に豪邸を獲得 保坂兄弟(保坂学と耕司)移住計画


こんにちは
株式会社PLUSの保坂学です。


保坂兄弟は、世田谷の家ってもはや必要ないよね、と弟の耕司と新しい未来のプランを語っていました。

世田谷は、近隣と家がくっつき世田谷ハウスが並んでて、圧迫感で息苦しくなります。

世界の指標で、幸福度指数が低い日本の中で、甘んじて余生を過ごすのは良くないと思うし、これから高齢化で人口が減り、必ず税金が上がります。

税金により手取り給与が低くて、物価が高い生活になり、本気でこの国に危機を感じているので、働くことが自分の為にと思える国に拠点を構える予定です。

皆さんこんなに長い時間働いて、お金ない国民って、世界中で日本だけって知ってます?

例えば、近場の国、オーストラリアは週38時間の標準的な労働で、年収は1000万円程度がごく当たり前な平均です。

日本人は、どこの国の人にも無宗教ですと言っているのと同じ感覚で、世界情勢も他人事で興味がなく、国制限でテレビのニュース番組も海外みたいにジャーナリズムがない、くだらない話ばかりで、自分達がまだ先進国と思ってます。

日本は世界の基準で、先進国から既に外されているし、外資企業は他のアジア圏に移動して、日本は金取られるだけで、蚊帳の外の状態です。

だから政府は、様々な国に人道支援で外交を強めて、世界情勢の中で地位を守ってるつもりですが、既に日本の人口が減る試算なので、国は潰れてきますし、その支援を自国のデフレ脱却に使ってバブルでも起こさない限り、復活はありません。


僕の未来展望は、ビジネスのことも考えて、拠点を考えていますから、日本まで直行便があり、税制が良い、心が穏やかにいれる、海の近くか海岸から近い場所にしようなど、実現に向けてプランを膨らませています。

UAEに数ヶ月滞在してる時、友達の王侯貴族の一族が持っている、マラワ島(Merawah Island)にしばらく滞在してました。

f:id:manabu_hosaka:20211017204159j:plain

https://youtube.com/shorts/EAm6M9vxMAs?feature=share

マラワ島は、アラブ首長国連邦アブダビアラビア海沖にある低地の島で、アブダビ都心部の三分の一くらいの規模の大きな島です。


アブダビから車で西に40分程向かうと、Al Mirfaという、昔から変わらないであろう雰囲気を持つ港街があり、その港から船で20分ほどアラビア海を北上すると島は見えてきます。

f:id:manabu_hosaka:20211017204225j:plain
f:id:manabu_hosaka:20211017204245j:plain

マラワ島は特殊な島で、交通機関や宿泊施設はありませんから、一般的な観光客は、行くことは困難です。

僕が向かう時は、マラワ島を管理しているファミリーに連絡すると、港までクルーザーで送迎があります。

僕は、彼此もう10年以上前から、アブダビに行く度にマラワ島に滞在して、その魅力に惹かれ続けてます。

この島は、アブダビのファミリーがすべて管理していて、国の自然保護区になっており、この島で自然を堪能したり、ココロが豊かになる時間の使い方をしていると、この場所がUAEという世界経済の中心地であることや、砂漠の国って事を忘れるくらい、魅力的で素晴らしい島です。

f:id:manabu_hosaka:20211017204308j:plain

エメラルドグリーンの海辺から潮風に吹かれ、白く細かい砂浜が見える海岸沿いを歩き、振り返ってみれば、光り輝く浅瀬にはフラミンゴが水浴びし、青い空には大鷲が優雅に飛んでいる幻想的な景色があります。

f:id:manabu_hosaka:20211017204325j:plain

この地区は、アラビア海の低地島で、陸地から数キロ先までは、腰下辺りの深さしかない、遠浅の海になっていて、さざ波が海の水面を揺るがしている程度で、水温は年間暖かい25℃前後の水温なので、季節を問わずに、ゆったり海水浴ができます。

日差しに反射して輝く海面を背にして、プカプカと海に浮いていると、日光浴をしながら、うたた寝してしまい、流されて漂流してたこともありました。

f:id:manabu_hosaka:20211017204325j:plain

僕はアラブの王侯貴族のビラに滞在して、そこはマラワ港から歩いて、一番最初に通る建造物で、透き通った海辺に似合う可愛いビラでした。

ビラの窓から表のビーチを覗くと、真っ白な木造の日除け小屋と、ヤシの木に吊るされたブランコがあり、今も目を閉じれば頭の中にその景色がデジャブします。

f:id:manabu_hosaka:20211017204427j:plain

マラワ島に店舗はないので、滞在中の食生活は、毎日シェフが、同時刻に用意してくれます。

見たことの無い、地元のアラビア料理を振る舞って頂き、毎日美味しく堪能しました。

アラビア料理
https://youtube.com/shorts/K8oYT2qKPu8?feature=share

砂漠のように細かく美しい砂浜を、心地よく歩いていると、パッと目を惹くリゾートの雰囲気がある施設が点々と出てきます。

その建物は、ファミリーがビラを幾つも建築していて、ラグジュアリーな造りは、隣接する部屋の数が分からないほど広く、大きなプールがあり、海やプールで泳いでから、そのまま家に戻れたりする、モルディブの高級リゾート施設のようなビラでした。

こんなことも出来ます!
https://youtube.com/shorts/rqtN9fH5F2A?feature=share

f:id:manabu_hosaka:20211017204537j:plain

10年ほど前に初めてこの島に訪れ、その頃は、滞在しているビラと労働者の家が数件あるだけで、豊かな島の大自然の他には、何ひとつ目新しいモノは無く、人の空気を感じない環境でした。

今は一軒一軒とビラが建てられ、港から内地の荒野に向かう様に、土を固めて慣らした道が徐々に伸びていて、友達の一族は自然保護を軸にしながらも、自分の島をずっと止める事なく開拓したんだなと感じました。

未開拓の地を開墾して、一族の住む環境を整え、労働者が集まる集落が出来るまでの経過を、時差なく開拓の流れやステップを知る事が出来たのは、自分の生きてきた人生において、価値観が変わるような経験でした。

それに、アラブの王侯貴族と唯一無二の親友になれたのもラッキーですしね。

この島にあるビラは、いつでも好きな時に滞在していいよと、ファミリーの長も言ってくれて、王侯貴族以外の人は入ることが出来ないスペシャルな場所だから、ここは僕と自分の大切な身内だけの未来予想図として、僕の幸福度指数を最高潮まで上げる候補の一つになっています。


#アブダビ #アブダビ観光 #マラワ島 #アラビア料理 #アラジンの世界 #保坂学 #保坂耕司 #保坂兄弟 #株式会社PLUS #世田谷ハウス

男には自分の世界がある フレーズに愛がある 保坂兄弟のルパン三世


こんにちは
株式会社PLUSの保坂学です。


「男には自分の世界がある」という出だしの言葉で分かった人は、殆どがルパン三世の世代かルパンファンの方であると思います!

オープニングテーマの歌詞の中にある「男には自分の世界がある 例えるなら空をかける一筋の流れ星」と言うリリックは、僕の中で、ルパンではなく次元大介に向けたと思ってます。

次元大介と言う不器用な生き様やクールさに、男性は惹かれたことがありますよね。

僕が初めてルパン三世を知ったのは、小学校の中高学年くらいに見たアニメで、怪盗が主人公のアニメって殆ど無かったから、子供には刺激がありました。

次元大介はルパンが信頼する相棒で、ルパンがピンチになると、必ず現れ場面を変え、銃の腕はマグナムで百発百中で撃ち抜き、BARでジャズを聞きながら、ウイスキーグラスを転がしています。

子供の頃は、チャンバラで使う武器やピストルなどの武器に憧れ、エアーガンで遊んでた頃に、テレビに映る次元は、戦隊モノのヒーローを見る様な眼差しでしたね。

子供は単純だよね、と思ったりしてましたけど、大人になって、エアーガンから変わったのは、ウイスキーやスコッチを片手にバカラを転がしてるだけで、子供の頃から今も実はそんなに変わってないのかも。

大人になってルパン三世を見ると、次元とは他のキャラクターにも心惹かれましたが、相変わらず好きなのは次元でした。

僕の素行は常にふざけてる、ルパンってタイプですけどね。笑

10年ほど前ですが、飲食店を経営していた時期があり、ルパンと次元が映画の中で奪い合う、ミートボールパスタをシェフに作ってもらったりしました。

ルパン三世カリオストロの城
ルパンと次元のパスタ
f:id:manabu_hosaka:20211016001834j:plain


そのパスタに使ったトマトは、クラシック音楽モーツァルトを聴かせながら育てた、市場には出荷していない貴重な音楽トマトなどを使い作りました。


近頃は、長寿アニメの声優交代も出てきましたが、ルパンシリーズは1971年に始まり、何人もの声優陣の交代があり、時代を引き継いできました。

最初は違う声だから違和感あるけど、少しずつ役柄が馴染んで、いつの間にか浸透してますよね。

僕の時代の声優は、ルパンが山田康夫さん、次元が小林清志さん、石川五ェ門井上真樹夫さん、峰不二子増山江威子さん、銭形警部は納谷悟朗さんっていう印象ですが、2015年から2016年に放送されたPART4は、次元以外の声優が全員交代しました。

そして、ルパン三世 PART1の初放送から現在まで、次元大介だけ唯一代わることなく、命を吹き込み続けていた声優の小林清志さんが、先日の放送で遂に次元を引退することになりました。

2021年10月から放送されている、ルパン三世 PART6のEPISODE 0 時代、の放送が小林さんの演じる最後の次元大介です。

ルパン三世 最後の次元大介 声優は小林清志さん
https://youtu.be/xL_VZJ2u-E8

次元大介は、小林さんの渋い声があって、硝煙の匂いが漂う、哀愁のある男のビジュアルになったんだと僕は思います。

長い間、次元大介という幼い頃からの憧れの生き様を、教授頂き有難うございました。

「奴はとんでもないモノを盗んでいきました。それはあなたの心です。」

その言葉は、僕や沢山の人達の心に深く残る言葉でしょう。



#保坂学 #保坂耕司 #保坂兄弟 #株式会社PLUS #世田谷ハウス #ルパン三世 #カリオストロの城 #次元大介 #石川五右衛門 #峰不二子 #ルパン #音楽トマト #モーツァルト

空冷ポルシェにエアコン欲しい 保坂兄弟のポルシェ911


こんにちは
株式会社PLUSの保坂学です。



夏は暑過ぎてポルシェ乗れないね。
弟の耕司と保坂兄弟は残念極まりないと話してます。

空冷ポルシェ乗りにとっては、夏がとうとうやってきてしまったと思いますよね。

夏のエアコンの問題は悩みだと思いますが、その空冷ポルシェの中でもポルシェ930のクーラーは全く効果なしで有名です。

f:id:manabu_hosaka:20211015053928j:plain


新型ポルシェの方は関係ないですが、空冷ポルシェなんて、新車当時に1500万円以上する高級車なのに、90年代あたりまで、エアコンが激弱できかないふざけたやつなんです。

全く使えないのに、エアコンガスを夏毎に継ぎ足しますが、車内に入れば汗だくになり乗る気にならず、現状だとエアコンっていうか、扇風機の方が良くて、窓開けた方が涼しいくらいです。

元々の話なんですが、930ポルシェのGシリーズなど初期タイプは、設計した際にエアコンはなくて、販売時の後付けオプションでした。

そのため、後方のリアエンジンから長いホースを引っ張り、前方まで無理に持ってきて設置したみたいです。

僕的には、昔の日本車や後付クーラーと全く同じ仕組みですから、ある程度の修理工場なら簡単に直せて、整備すればクーラーは絶対に使えると思ってますが、クラシックポルシェというだけで、無駄に高額だったり、対応してもらえません。


空冷ポルシェ乗っている皆さんのエアコン問題点は、こんな感じの症状だと思います。

・冷気が急に送風や温風になり不安定になる

この症状は、エアコンコントロールユニットの問題か、冷風温風の切り替えユニットの故障が原因だと思います。

・エアコンガスが入らない

この症状の場合、配管の詰まりか、コンプレッサー、クラッチプーリー辺りの故障だと推測しますが、その他の場合なら、エキスパンションバルブやリキッドタンクの交換などが必要になりますね。

コンプレッサーの場合は、オーバーホール、またはリビルドになり、マグネットクラッチも交換が必要になるかな。

・エアコンガスを入れてもすぐに効かなくなる。

これは最初にクーラーを使えてる場合は、ガス漏れが原因の場合が多いのですね。

その個所を捜して修理するのは、過酷な作業になり、まずは点検できるポイントを点検し、ホースを交換した方が今後のためを考えたら良いと思いますが、ホースに問題が無かった場合、エバポレーターの交換をすることになります。

・ガスが入っているのに冷えが悪い。

コンデンサーブロアが不動になっていて、ガス圧が上がりすぎたり、温度センサーの不調により、エバポレーターが凍結したり、配管やエキスパンションバルブ、リキッドタンクが詰まっている可能性があります。


僕に起きたトラブルは、エアコンをどうにかしたいなって色々考えていた時に、ブロアファンやモーター辺りからシューシューと白い煙が舞い上がり、室内ファンから吹き出してきていたので、臨時対策で新しいのに交換しました。

f:id:manabu_hosaka:20211015054303j:plain


1974年〜1989年の930型クーラーの仕組みは、ほとんど国産車と同じ仕組みですが、ポルシェは特殊でリアエンジンですから、後ろ側から伸びる配管の長さ、設置場所、ゴム素材が、ポルシェの元からの欠陥で、964型まで同じような構造です。

f:id:manabu_hosaka:20211015055020j:plain

エアコンはまず、コンプレッサーが冷媒のフロンを圧縮します。

圧縮されて高温になったフロンを、コンデンサーが冷やすことで、フロンが液体に変わります。

液体になった冷媒は、レシーバー ドライヤーを通り、水分や不純物を取り除き、エキスパンション バルブから、フロンをエバポレーターに噴射し、フロンが気化します。

エバポレーターが冷却されて、冷やされた空気が室内に送風され、温度が下がっていきます。

気化したフロンは、継続的にコンプレッサーで圧縮して、上記のように反復しながら、温度が冷却していく構造です。


964以降だと、基本的に金属配管で改善されていますが、930はこれらを経由する配管が全部ラバーホースとなっていて、930は昔の後付クーラーと同じ仕組みになり、ホースが劣化し易いゴム製品で、金属のカシメの部分から漏れたりします。

漏れてる場合は、金属の部分だけ残して、新品のゴムホースでホースを作り直してくれる業者があるそうなので、探してみるとよいかも。

f:id:manabu_hosaka:20211015054030j:plain


930エバポレーターは、機能性も問題なく、銅配管とアルミのフィンという豪華な作りになっています。

最近の車はコストダウンで、アルミ配管になっていてますが、アルミの場合、結露で腐食して穴が開いたりしますが、銅配管の場合は全く心配いりません。

オーバーホールしてない場合、オーバーホール、もしくは日本の国産車にも使われているサンデン製を流用すると良いですよ。

オーバーホールの時、レシーバー ドライヤーが詰まっていたり、中の除湿剤が古くなっている可能性が高いので、ついでに交換しましょう。


最大の弱点は、なんと言ってもコンデンサーです。

f:id:manabu_hosaka:20211015054046j:plain

ポルシェに付いてる小さなコンデンサーは、処理容量も足りず、設置場所もエンジンルーム内の気温の影響を受ける場所にあるにも関わらず、国産車のようなファンも付属していません。

この仕組みは、エンジンを冷やすファンの吸気のついでに、冷やす仕組みなので、コンデンサーの周囲の気温が高いと、ほぼ冷媒が冷えることはありません。

冷媒が冷えないと、液体にならないため、エキスパンションバルブが液体のフロンを噴出できないので、動作しなくなります。


画期的なアイテムないか調べてると、凄くナイスなエアコンキットを発見しちゃいました。

f:id:manabu_hosaka:20211015054552j:plain

リアフェンダーに電動ファン付のコンデンサーを移設して、冷媒を冷やす仕組みに出来て、かなり冷えるみたいですよ。

SingerやRUFに採用されているお墨付きです。


電動コンプレッサーのクーラーシステム
https://youtu.be/ADuk4yl-X30

Classic Retrofit
https://www.classicretrofit.com

電動の良いポイントは、エンジンに負荷をかけずに使えるから、かなり欲しいと思ってますけど、エアコンに60万って高額過ぎだったので、考えちゃいますよね。


空冷エンジンにとって、真夏は劣悪な環境なので、運転を我慢するのが、一番の対策かなと思っています。


#保坂学 #保坂耕司 #保坂兄弟 #株式会社PLUS
#ポルシェ #911S #空冷ポルシェのエアコン #空冷ポルシェ #ポルシェ911 #絶版車 #希少車 #旧車好き #日本の最初のポルシェ #ポルシェの歴史 #オーバーホール #レストア

僕のポルシェのハンドルは世界限定80本! 保坂兄弟の911S


こんにちは
保坂学です


前回のブログ続編を投稿します!
マニアックな話ですが、ポルシェってどんなクルマ?って知りたい方はお暇なお供に読んでみてね。
https://manabuhosaka.hatenablog.com/entry/2021/10/12/204229


前回のまで読むのは面倒な方へあらすじ

前のブログは、ポルシェの歴史や911のスペックなどについて、なぜコードが901から911になったのか?僕の1976年の911Sが、ポルシェジャパンで初年度のポルシェなどの話でした。


今回の投稿は愛車のポルシェ911Sのステアリングを変えたので、その理由やMOMOというブランドの由来について語ります。



僕の愛車ポルシェ911S は40年以上前の車両で、このハンドルは、MOMOが70年代から80年代に生産していた、MOMO Gilles Villeneuve Steering Wheel Limited Edition 12/80のステアリングハンドルを装備しています。

f:id:manabu_hosaka:20211013195118j:plain


MOMOはイタリアのメーカーで、1964年にジャンピエロ モレッティが設立して、社名のモモは、モレッティモンツァからきているのが由来です。

当時momoは、レースやサーキット向けの製品を製造していましたが、1970年から、一般車向けのステアリングホイールの販売もスタートしました。

僕が選んだMOMOステアリングは、F1ドライバーシグネチャーシリーズで、その時代で脚光を浴びたドライバーが選ばれデザインします。

僕はジル ヴィルヌーヴが、最後にデザインした、世界で限定80本製造のステアリングを選びました。

ヴィルヌーヴのドライブは、普通なら考えられない状況で、肩輪すら動かなくても、カウンターステアが動くならば、三輪走行をしても完走しました。

ジルヴィルヌーヴのF1伝説の三輪走行
https://youtu.be/MfTB33sfBsE


その走行不能になるまで絶対にレースを諦めない姿勢が、尊敬されるようなドライバーでした。

ヴィルヌーヴは、F1の史上に名を残すバトルを、数々と繰り広げていましたが、若干32歳の若さでレースにより事故死しました。

この騒然な事故は、映像として現存していて、F1レースの中で、最も悲惨で驚嘆な事故として、1983年のウィニング ラン、1987年グッバイ ヒーローなど、映画になり放映されています。

ジルヴィルヌーヴの事故映像
https://youtu.be/QPw5kKqM-ns


日本でのF1開催は、ジル ヴィルヌーヴの事故を最後に、以後10年間に渡り中止されました。

彼は、日本のメディアやマスコミの、激しい非難と誹謗中傷の的となり晒されました。

そのメディアに対して、F1業界がその状況に怒りを覚え、反論の意を唱えていました。

その際にエンツォ フェラーリは、悲惨な事故は今までにもたくさんあり、これがF1レースの世界だ。とヴィルヌーヴを擁護する声明を出し、世界のメディアを一蹴しました。

伝説のF1ドライバー、ジル ヴィルヌーヴが、背負っているカーナンバー27は、名門フェラーリが、27番を付けるのは、悲運の象徴となってしまい、当時は誰もが、そのナンバーを拒みました。

しかし、時代の流れの中で、ヴィルヌーヴの鬼神のような活躍と死は伝説になり、象徴である27番は、偉大な番号として愛され、誰もが望むフェラーリのエースドライバーを象徴することになりました。

その番号を背負ったドライバーは、皆数々の伝説的なドライバーであり、その名は錚々たるメンバーで、パトリック タンベイ、ミケーレ アルボレート、ナイジェル マンセル、アイルトン セナ、アラン プロスト、ジャン アレジらは、偉大な27番を自ら受け継いでレースを闘い抜きました。

その著名なドライバーの中でも、セナやアレジはヴィルヌーヴへのリスペクトが有名な話で、アレジが幼少の頃は、自分の部屋にヴィルヌーヴの等身大ポスターを貼っていたと言っていました。


僕は、変更前のハンドルもMOMOを使っていましたが、80年代後半の様なポテっとしたハンドルで使い易かったのですが、このクルマのビジュアル的にクラシック感を出したかったので、1976年の911Sのクラシックを崩さず、自分の呼吸に合うような、ハンドルを探していたら、遂に見つけることが出来ました。

930のハンドルの脱着は、特殊工具も必要なく、六角レンチがあればボルトオン、配線もクラクション部の接続だけなので、モノがあれば、自分で簡単に出来るカスタムです。


僕が自分の愛車にこのステアリングを何故選んだかは、僕の生き様になります。

F1レースは、どんなドライバーであっても、死と隣り合わせの危険な競技であるような、周知の事実にも関わらず、理不尽なメディアは誹謗中傷をしていました。

その誹謗中傷を払い除け、闘い抜いた男達の姿に、心を撃ち抜かれたからです。

現代は、誰もが携帯電話から誹謗中傷や嘘まで、ブログやSNSに、簡単にぶち撒きけることが出来る世の中であり、軽い言葉でたくさんの人が傷付いています。

人を貶めたり辱めたりしてると、手負の虎は恐ろしく、逆に自分が後で喰われてしまうことがある世の中だと、学ばせないといけないですね。

世の中ネットでIP開示やディープウェブはすぐに使えますから、きっと仕返しされちゃいます。

僕と弟の保坂耕司は、自分の道徳があり、人に言えないような、誹謗中傷などしてるやつは人間のクズだと思っているので、人生における生き方に、恥じる事は無い様にしています。

やはり生き方でカルマがあり、人に酷いことをしたら返ってくるので、誠意ある仕事が出来る様にと、株式会社PLUSでも話をしています。

みなさん清らかな心で幸せに生きたいですね。




I changed my porsche steering signature series designed by F1 driver Gilles Villeneuve. It's his last design. This is the Steering was selling MOMO from the 70's and 80's. Due to accident racing legends of F1 drivers, F1 race in Japan over 10 years were suspended. Villeneuve was exposed to fierce criticism from media outlets around the world, but Enzo Ferrari defend him, he say there were lot to accident. This is the world of formula 1 racing. He did the unthinkable in normal goal. He was from an accident driving on three wheels. His car runs out, never give up racing. Captures the hearts of people around the world fight for him, fought with the name battle in F1 history. He was killed in an accident at the age of 32. This story remains as a video. Most distressing and shocking accident footage in F1, in 1983 winning run, 1987 goodbye Heroes have been featured film in. Prestigious Ferrari is hated as a symbol of Villeneuve's car No.27. No.27 was loved as a great number of Villeneuve and tragic death. And became to symbolize the Ferrari ACE driver. Inherited the No. 27 by Patrick tambay, Michele alboreto, Nigel Mansell, Ayrton Senna, Alain Prost, Jean Alesi, who fought. Senna, Alesi respected Villeneuve. Said Alesi was put childhood Villeneuve poster in his room.

#保坂学 #保坂耕司 #保坂兄弟 #株式会社PLUS #ポルシェ #MOMO #F1レース #ジルヴィルヌーヴ#パトリックタンベイ #ミケーレアルボレート #ナイジェルマンセル #アイルトンセナ #アランプロスト #ジャンアレジ #ウィニングラン #グッバイヒーロー

ポルシェ911は空冷乗りの愛と歴史 保坂兄弟(保坂学と保坂耕司)のポルシェは最高


こんにちは
保坂学です


今日は僕の愛車の空冷ポルシェについて、マニアックな投稿になります。

今回の記事は自己満足しかない内容になります!笑

f:id:manabu_hosaka:20211012204220j:plain

ポルシェ乗りの人じゃないと、空冷って言っても何それ?ってなってしまいますよね。

それは説明しないと、ずっと分からない内容になりそうなので、説明しますね。

エンジンの冷却方法の違いで、1964年から1996年までのポルシェは空冷、それ以降のモデルは水冷です。

1963年に生産された最初のモデルは901型、通称ナローが、空冷ポルシェの初代911です。

当時は開発コードのまま901とでしたが、競合のプジョーが真ん中に0の入った3桁数字を、全て商標登録していたため911と改名されました。

1974年から2代目の930型、1989年から3代目の964型、1993年から最終モデルの993型です。

それ以降のモデルは水冷ポルシェと言われてます。

もちろん新しい水冷ポルシェの方が、誰でも簡単に運転出来ますが、空冷ポルシェは運転技術がシビアで、重いハンドルやクラッチ操作、エンジン音など男性であれば、自分が操っている体感に魅了されます。

ポルシェの歴史を覗いてみて下さい。

ポルシェ911は、1964年から変わらず、今もなお製造されている愛に満ちた歴史を持ち、ボディのフォルムやコンセプトなどは、創業からほぼ変わらず進化していて、911は長い歴史の中でも、変わらない丸目のヘッドライトと丸いボディのフォルムから、カエル目ポルシェと呼ばれています。

空冷ポルシェは、各時代の喝采を浴び、絶大な人気を誇り、20世紀最高のスポーツカーとして世界中の人から愛されています。

930型は、1974年~1989年まで長く生産されていて、1974年に開催したパリサロンに、930ターボが展示されました。

その930ターボは、排気量が2,994cc、ボア×ストロークがφ95mm×70.4mm、圧縮比が6.5の、930/50型エンジン、ボッシュKEジェトロニックと言われる機械式連続燃料噴射装置と、ブースト圧0.8気圧のKKKターボチャージャーを搭載し、260馬力/5,500rpm、35.0kgm/4,500rpmの世界屈指のスペックをリリースしました。

930型は、本来であれば、ターボモデルを指すものですが、ターボではない自然吸気の2.7L NAエンジンも1977年までは901型のままで生産されました。

ポルシェ本来の走りを感じる自然吸気エンジンを好むユーザーは多く、「ナローボディの930」や、「930ナロー」などの愛称で人気があり、山口百恵のプレイバックPart2と言う曲で、ポルシェ930のことを歌われたことで、日本中の人が知るようになりました。

Porscheは1976年日本に進出し、その時に生産されたのが、1976年の911Sで、130台生産されています。

PORSCHE JAPANのスペックは、昭和50年の排ガス規制のため、特殊な仕様になっており、245馬力/5,500rpm、35.0kgm/4,000rpmのスペックです。

その後、2.7Lから排気量アップに対応するため、タイヤ幅を増やしフェンダーを備え、全幅は1,775mmまで拡張しました。

1978年には、自然吸気エンジンも全て930型となり、911のコンセプトカーが、フランクフルト モーターショーで発表され、280馬力で最高速度280km/hと世界中で話題となりました。

カタログの名称では1978年ターボ、1979年に930ターボ、1980年では911ターボと名前を変えていて、ハイエンドでオシャレな内装と高性能なレースカーとして、その当時に大学卒の初任給が10万円だったころに、1800万円近い高額車が、一世風靡しました。

911トランスミッションφ240mmは、4速MT930型になり、ポルシェは溢れ返るパワーは4速で充分と力説していましたが、シンクロトランスミッションの耐久許容量は、ターボのパワーに耐えられず、4速にしたとされています。

僕のポルシェは、911Sは1976年製の4速MTで、Porsche Japanが日本で初めて生産したポルシェで、世界で生産台数が130台の希少車となっていて手に入れることが出来て良かったです。

ポルシェの世界どうでしたか?
興味を少しでも持ってくれたら幸いです。


#保坂学 #保坂耕司 #保坂兄弟 #株式会社PLUS
#ポルシェ#911S #930型 #ポルシェ911 #Porsche #日本の最初のポルシェ #ポルシェの歴史 #絶版車 #希少車